その瞬間を生きる 記録することなく
*興味を抱くものや美しいものをみると反射的に写真におさめようとする行為があたりまえのようになっている現在において、あえて写真を撮らないこととその意義を高めることを目的としたノンフォトグラフィーデイが、カレンダーに刻み込まれました。ノンフォトグラフィーデイに参加する方法は簡単。7月17日にカメラや記録する機材を家に残し、写真撮影を一切しないで一日を過ごすことです。その日の予定がなんであれ、外観を記録するという行為を止めて、その日の生活やその瞬間々々をしんでください。
ノンフォトグラフィーデイは、私自身の東南アジアの旅がきっかけとなって設けられたものです。世界でも最も美しいといわれる東南アジアの土地で畏敬の念を抱かせるような多くの自然や人々との出会いがありました。と同時に私は、周りの人々が、カメラを通してしかその風景を見ず、少しでも興味を抱くものがあれば本能的にカメラに手を伸ばしているということに気がついたのです。かれらは、小さなファインダー越しの世界しか見ず、シャッターチャンスを捉えることしか考えていませんでした。それは、その土地の外観だけが与えられたものであり、その記録を残す方法は写真しかないという考えに取り付かれているからです。しかし私は、そうすることで逆にその瞬間に与えられた数多くの大切なことを見逃しているように思われてなりません。
「あるものが眼前にあるということで、それを看過することができない。しかし、それを詳しくあるいは系統的に調べるために自らの手で掴もうとすれば、その手からすり抜けて見失ってしまう」鈴木大拙- “Essays in Zen Buddhism”より
このような行動が、私の眼前で次々とくり返され、現在も止まることがありません。私の同僚達は人生のほとんどをカメラの後側で過ごしていることから、訪問先の思い出を撮った写真だけに頼っているのではと思うくらいです。でも写真から認識できることといえば、その人がその場所に実際にいたということだけで、その土地の物語や魅力などを体感することはできません。その人は本当にその土地を体験したのだろうかと疑ってしまいます。
東南アジアの旅から戻った以降も数々の旅先で、反射的に美しいものを写真におさめようとする人々の行動をさらに目にするようになっています。今の世界は、花火の写真をとる人々で溢れており、多くの写真家が絶え間なく変わる夕焼けのさまざまな表情や秋の感覚を捉えることに躍起になり、カメラ付き携帯電話を持った男が空中の鳥の群れを追っている‐そういった事象が、ノンフォトグラフィーデイを定めるきっかけとなりました。
詳しい情報 info@nonphotographyday.com